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京女の大先輩・岡部伊都子さん大村しげさん

京都って言うところはいろんな人の出入りやいろんな種類の人が京都を構成してると思う。
多くの実業家、職人、学生、そして多くの虚業家が多いのが京都の特徴。東京は大阪の地下鉄から排出されるような灰色のサラリーマンはあまりいない。(いるところにはいるんだろうけど)

宗教関係、花柳関係、芸術家、・・・これらの人たちが京都の艶と華と毒を添える。都会にしか生きていけない人たち。そして都会が必要とする人たち。

物書きの彼女たちの目線はいつも、伏見の旧街道の米屋の看板、西陣の豆腐屋に注がれていた。スローライフという言葉が生まれる前からずっとスローライフだった。「もったいない」も流行る前から、「しまつしなはれ」と言ってたのだろう。岡部さんも、大村しげさんも、私の大好きな作家さん。京女の大先輩である。

京女はイケズである。そして、京女は賢い。

女優でも京女といえば、私は藤山直美と山村紅葉ぐらいしか思い浮かばない。今でも私の友人の京女達は優雅で賢い。イケズは本気の時しか出さない。
誰よりも、京都の日常をいっぱい書いてらした。しかも庶民の目で。そして気高く愛してらした。(政治的に左だった部分はいなめない。当時のインテリはみんなそうだった。)最近の京都ブームではあまり出てこられなくなったが、図書館の郷土コーナーでは彼女の棚があったはず。(そもそも、京都には郷土という漢字はあてはまらない。どこも土臭くないもの。どちらかという水のイメージが強い)
直接お逢いしたことはなかったけど、彼女の京女の芯の強さが伺える文章に、自分のアイデンティティを重ねたりした時期もありました。

もうひとりの祖母が亡くなったような気分です。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080429-OYT1T00460.htm
随筆「古都ひとり」岡部伊都子さん死去

日常生活に息づく美意識をさりげない筆致でつづった随筆家の岡部伊都子(おかべいつこ)さんが29日午前3時59分、肝臓がんによる呼吸器不全で亡くなった。85歳だった。告別式は親族だけで行い、5月31日午後2時から京都市上京区寺町通丸太町上る、洛陽教会でしのぶ会を開く。
大阪市生まれ。太平洋戦争時、「天皇陛下のためには死にたくない」という婚約者に、「私なら喜んで死にます」と話し、出征した婚約者は沖縄で戦死。その自責の念が戦争や差別への抵抗精神の基盤となった。
戦後、ラジオ番組のために書いた原稿が1956年に「おむすびの味」の名で刊行され随筆家として注目された。晩年は京都に暮らし、紀行、エッセーで仏像や花などの風物と人間の営みを細やかに描き、それらを踏みにじる戦争や差別、環境汚染などを批判した。作品に「古都ひとり」「女人の京」「朱い文箱から」「朝鮮母像」など。
故岡部伊都子さん(随筆家)をしのぶ会は、5月31日午後3時、京都市上京区寺町通丸太町上る、洛陽教会。時間が変更された。
(2008年5月1日00時47分 読売新聞)