ちょっとだけ、個人的な話。
昨年からボタン式アコーデオンを市の音楽学校の社会人科で習っています。かなり初心者です。ピアノ式だと普通に地下鉄のロマぐらいは弾けるのですが、(例えが悪いな。いやちゃんと、烏丸車庫のアメリカ屋楽器で習ってましたから)ボタン式はドレミのノートが実はまだ指が覚えておらず、本当に悲しい。
音楽学校。原語で発音すると、コンセルバトワール。(なぜそういうのかわからない)ここの授業はちゃんと10年ぐらいで卒業させるようになっており、もし私がこの学校で10年ぐらいこのお習いごとを続けるとちゃんと音楽の卒業証書がいただけることになるらしい。変でしょ。でも、今私は、楽器を習っているだけではなく、週一のソルフェージュの授業もうけているのです。しかも中学生と混ざって・・まるで、東九条の在日朝鮮人のおばあさんが、夜間の中学通ってるみたいでしょ。(また例えが悪い)
私の音楽歴は恥ずかしながら、単なる「音楽好き」ピアノは幼稚園から中学卒業ぐらいまでやってました。バイエル、ブルグミューラー、ソナチネ、まではなんとかやりましたが、ソナタはしてません。ケツ割りました。私たちの年代の昭和生まれ女子のピアノをかじったことのある女子、いや男子もあの時代はみなさんピアノよく習っていました。音楽発表会ともなると、似合わないぴかぴかのワンピースを着せられ、四条通りの山一証券ビル内のホールで弾いたものです。リハーサルも特に何もなく、私は「貴婦人の乗馬」同時期に習ったいた敏子ちゃんは、ショパンの「別れの曲」を弾きました。帰りは敏子ちゃんのお母さんとうちの母4人で大丸でパンケーキ。あとで敏子ちゃんのお母さんは地下のモロゾフでお買い物をして帰りました。(あの頃はモロゾフという言葉がエクゾチックだった)
さてそれは置いておいて。私が言いたかったのは、自分の器用さが故に、ソナチネまで当時は弾けたし、今もNHKのみんなの歌のピアノ譜などダウンロードして弾いたりはできるのですがやっぱり、易しめの曲だけ。そして久石譲のピアノ曲も「簡単版」なら弾けるけど「原曲版」になると実は無理だったりする。
ピアノもいいんだけど、いずれメトロの通路で小銭を稼がなければならないので(おいおい)アコーデオンを習いだして、強制的に在日のおばあさんのように夜間の音楽を受けているのですがこれが非常におもしろい。とりあえず、小学校や中学の授業でここまで楽譜を穴をあくまで見つめることをしなかったし、ディクテ(音を聞いてその音を五線譜に書く)ことなど本当にやってこなかった。器用に幼稚園からピアニカ、ハーモニカ、縦笛、ピアノを弾いては来たけど、リズムと音階が違うこと。耳を研ぎ澄ますこと。声を出して歌うこと。
そして「楽器が上手」と「良い演奏者」と勘違いしてたこと。「楽器が巧い」は一部であって、表現者としては知性なり表現力や正確さを見る力をつかること。もちろん五嶋龍もみどりさんも天才で、あの小さな頃の技巧と知性が相乗効果でまた大人天才になっちゃったんだなぁと。
子供に戻ってとりあえず、1年やる予定。去年のお習いごとは潜水(プールで練習)だったけど、今年は子供も引き連れて音楽。とりあえず1年、6月の進級試験に向けて頑張ります。Fisamonicaとはアコーデオンのイタリア語。(最近習いました・・)