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不遇の建築家 Fernand Pouillon

こないだ初めて人生初の生コルビュジエ建築の中に入って、写真を撮ってキャーキャー騒いでいたのですが、実は、街の中もよく見ると、「これもしかして、すごく考えてつくってない?」みたいな建築や公共建物があるので、

ふとマルセイユには有名な建築の方がいたことを知り、少し調べてみました。

実はマルセイユが誇るその方の名はフェルナンド・プイヨン。

多分建築に造詣の深い方なら「安藤忠夫が読んでたとかいう『粗い石』の人ね。」とピーンと来ると思うのですが、とにかくそれ誰?の世界・・・とにかく日本の建築の関係の方なら皆さんご存じみたいです。私は知りませんでした。こちらの建築家(ママ友)や知識階層の方は知ってたので地方有名人のようです。

とかく、彼のバイオグラフィーを見ていると第二次世界大戦直後のマルセイユ市内はの公共建物は彼一色!だって、ほんとにすごいんです。プイヨン色一色ですからね。ブイブイ言わせてたのでしょう。(おやじギャグならぬおばさんギャグ。すまぬ)マルセイユ駅から旧港近くの、あの、荒っぽいコンクリートっぽいゴツい長方形の建築はほとんど彼といっても良いんじゃないかと思うぐらい。ここに地図があるので是非とも見てくださいね。そりゃ〜、嫉妬も買うでしょう。

ざっとWikiを翻訳すると(まだ日本語版がないんですよ。どなたかよろしく)1912年生まれ。若いときからその能力を発揮し、22歳で最初の建築に着手するがその頃はまだ建築家としての資格を持っていなかった。(当時は無資格でも、主任建築業務を遂行することは可能で、今のような資格要はヴィシー政権以降らしい)1938年まで、精力的に集団住宅の建築に携わり、やっと1942年に建築家としての資格を得ました。(30歳ね)

やがて、大戦が終わり、1950年代から60年代にかけて、南仏とアルジェリアで、近代的な集合住宅の設計と建築に携わっていたのですが、1961年に住宅建築公団事件で粉飾決算、横領と企業資産の流用などの罪に問われ、逮捕投獄。翌年、健康上の都合で病院で治療中にそのまま脱走。でも1963年の公判中に現れ、そこで、4年の実刑判決。その獄中で『粗い石』(ル・トロネ修道院の工事監督の架空の修道士、ギヨーム・バルスの目を通して12世紀のシトー派修道院生活を描いた作品)を創作し、その本がなんと、翌年のDeux Magot文学賞受賞するというおまけ付き。

幸いにもまた、健康上の理由で1964年釈放。当時アルジェリア民族解放戦線(アルジェリアの社会主義政党)ともつながりがあり、(アルジェリアは1962年フランスより独立ね)こんな調子じゃフランスにいられない。。ということで出てから1984年まではずっとアルジェリアで建築家として活躍。彼の地でホテルや観光事業、公共施設、大学などを、果てはイランにまで行って活躍しました。

そして1971年にやっとフランスは彼の偉大さに気がついたのか、時の大統領ジョルジュ·ポンピドゥーによって赦免、1978年フランスの建築家資格再授与、1984年に帰国。 そして翌年ミッテラン大統領により、レジオンドヌールの称号を与えられる。。

というまぁ、あのアルジェリア革命の前後の時期に、彼ほどフランスとアルジェリアで運命を翻弄された方もいらっしゃらないでしょう。。というぐらい劇的な人生を歩まれた方。

それなのに実はコルビュジエより全然知られてないですよね。なんで?(もしかして、私が知らなかっただけ?)同じ建築家で同じ時代なのにね。一回彼はフランスに見放されたという経歴もあるけど、それでもちゃんと名誉回復したわけなのですがね。。

彼は、マルセイユ旧港の集団住宅の場合、コルビュジエと違い、コンクリートは使わずに、大理石、石、タイルを多用しました。。御存知の通りこのあたりは石の産地。ローマ時代からの石文化。特にこのあたりの石は操作扱いやすそうな柔らかい。アルルの街の建設のために、アルル近くのFontvielleという石の採掘で有名な街もいまも現役。そいえば、あのセザンヌだって、サンヴィクトワールの石切場の絵を良く描いてましたから、南仏と石のつながりは切って切ることができません。

そこで、私が思い出したのが、イソップ童話の3びきの子豚。この人は子豚のなかでは優等生なのかもね。(わら・木・れんがじゃなかったわね(笑))

彼の建物はまだまだ現役でマルセイユ近郊でいろんなところで使われています。とにかく数が多い。でも少しずつ取り壊されている感もありますが。アルジェにもあるそうです。

個人的に最初みたときは「なんて大雑把!まるで社会主義っぽい」と思ったのですがなんとなく彼の経歴を見ているとそういう節がみえないでもありません。私は一番よくとおる、マルセイユ旧港の集団住宅については実はよく見ると味があって一つ一つの扉や柱が凝ってるなぁ〜と思っておりました。とても大きくて優雅で立派です。本当に重厚な建物なのですよ。石造りで。

fernand-pouillon-monumental-architecte,M24801

ただ、彼の建築は日本人が想像する南仏とはどうも違うのは確かです。なんともソビエト的で集団的です。とはいえ、禁欲的な壁の直線にご機嫌きわまりないマルセイユの海面が反射しているのを見ていると、なんとも抜けた陽気な建築。に見えるのも確かです。それがなんとなく行き詰まった感がするマルセイユにはまたぴったりなのですが。深いことはわかりません。

ただ今のところは保存と破壊が両方進んでいるようなので是非ともお早めに!次はザハ・ハディドの見学が目標!リストはどうぞ上のPDFをクリックしてみてね!

マルセイユ発プイヨンの小説の舞台の修道院見学及びコルビュジェツアーはこちらです!!

フェルナンド・プイヨンとマルセイユ旧港計画(仏語)

https://www.fernandpouillon.com/marseille.html

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