何も言えない。えぐられたわ。
とりあえず監督がすごい。障害者を映画にしつつも24時間テレビの正反対に位置するこの心地よさ。ありがとう!
37セカンズとはこの子が誕生時に酸素が脳に行かなかった時間。
私はこの編集者やお母さんと一緒なのか?このあっさりした姉さんなのか?
自分はどれかを探してしまう。
「セックス経験もなければ、いくらエロ漫画描いてもリアリティがないわよ」
漫画を応募した先の編集長がなげつける言葉。
この言葉は差別でもなんでもない。
もしこのストーリーが車椅子にも乗ってない女の子の話だったら、映画にすらならない。お母さんの庇護のもと優しく育った娘さんが、殻を破り、社会に出ていく・・ストーリーとしてはそうなんだけど・・
ただ、この主人公が脳性麻痺ということで心がざわつく。
這いつくばって風呂場まで歩く娘の世話をし自分を慰めるあのお母さんかもしれない。あのお母さん顔。生きがいが子供の世話。
また、私は良識のある人のふりをしているがもしかしたらこのいけすけなユマが呼んだホストみたいな1人なのかもしれない。
みんなにあなたは誰?をつきつける。それだけではない。
障害者の性って、普通に考えたら隣人の性とおなじで、あたりまえのこと。みんなタブーにしてきたこと、普通に描いてる。それが普通じゃない。ざわざわ。
アイドルはおしっこしない
障害者は性欲がない
障害者はかわいそう
同じような思い込みじゃない?
障害は普通に考えると誰でもなりうる。
私達ぐらいの年になると、生まれたときは障害がなくとも、大きな病気で倒れてしまったとか、事故とか、で人生の途中から車椅子生活などたくさんいる。自分だっていつそうなるかわからない。
最後彼女がいったように、「わたしでよかったけど、双子の姉がこうなってたかもわからない」
そういう彼女が見る都会のビルは人の顔をしていて、そこに神様が見てるんだよ。。というあの語りで、、この若いお嬢さんが神様と一緒に生きてるんだと思って嬉しくなった。視線が地上90cmだから私達と違うものを見てるのかもね。なにか見えるのかもしれない。
またあけすけな障害者のセックスのお相手専門のお姉さんもかっこよかった。
またこういう人たちと一緒に遊んでくれるのはやはり同じマイノリティのゲイのお兄さんだったりするのにもリアリティがあった。
みんなどんな形であれだれもが未完成の障害者であり、青春があり、飛び立っていく。。それだけなんだけど、女性として人間として自分もマイノリティとして生きているあなたの背中をそっと押す。うだうだ考えてないで、やっちまいなと。
監督インタビューでこんなことも言ってくださってる。。嬉しいわ。
―物語の中で海外ロケのシーンもありました。あえて海外のシーンを入れた意図を教えて下さい。
障がい者の人たちにも、介護士がいれば世界のどこにでも行けるというメッセージを込めています。車いすに乗っていると飛行機に乗れないと思う方も多いようです。順序をたどって時間をかければ、フリーランスでも介助手の方々がたくさんいるので、そういう方々といれば海外へも行けるし、電車に乗るときだって助けが必要であれば「どなたか手伝ってください」と声を掛ければ、みんな手を差し伸べてくれます。障がい者も健常者も、「助けて下さい」と言う勇気さえあれば、絶対にドアは開いていくと思います。やりたいことをやる、前進していくことは、自分が失敗することを怖いと思っているからであって、一歩を踏み出すことは簡単なことなんですよと。海外の設定もそうですし、主人公のユマが進んでいく姿を通じて、この映画で伝えたいことでした。