第二次世界大戦が、ドイツによるWashingtonDCへの原爆投下で終わっていたら。。
というあの、『ブレードランナー』『トータル・リコール』の著者フィリップ・K・ディックの仮想歴史小説のドラマ化。あとから気がついたのですが、これ『ハウスオブグッチ』『テルマアンドルイーズ』のリドリー・スコットがプロデューサーなんですね。面白いはずだわ。完成度高すぎっ!ハマるわ。。
そもそもこんな設定が今までの第2次世界大戦テーマのドラマや映画であったでしょうか?そうなんですよ。敗戦枢軸国であったドイツと日本が1945年にワシントンDCに原爆を落とし、アメリカを占領している1962年のが設定です。詳しく言うと東海岸はドイツ帝国となり、サンフランシスコを中心とした西海岸が太平洋日本帝国で占領しアメリカを統治してるのです。そしてもともといる米国人は敗戦の国の民として、日独に従うか、もしくはレジスタンスとして地下活動をしているのです。(そして中央部はニュートラルゾーンということで、両国が関与していない、昔の米国のまま)
無茶設定ながらも理屈がしっかり通ってるからおもしろい。
例えば、
私は今まで生まれてきていろいろな第2次世界大戦ネタの映画やドラマを見てきましたが、みんな日本軍って残虐で、天皇万歳で、神風で、でもなぜか故郷の水は清き、実は純朴、的なちぐはぐな印象なのですが、このドラマの設定の日本人の多くは平和主義者であり、八卦の知恵を持ち、ドイツ的極端な支配を良しとせず、なかなかいい人たちとして描かれています。
田上大臣も、皇太子妃も、意志があり、決して西洋人から見た訳のわからない日本人キャラではない。もうそれだけで嬉しくなるのです。もちろん憲兵隊などネガティブな大日本帝国的なキャラも存在しており、日本の立場を幅広く描写しています。
こういうSF小説でいちばん大事なのは、「設定」であり、こういう設定だから、社会がこうなっている。とかそれを見るのが楽しいのです。小説はそれを説明しますが映画はそれを見せます。それをさりげない景色描写で描いているのもこのドラマを面白くしています。NYを中心としたナチス帝国が白人中心のレジスタンスの都会であるのならば、サンフランシスコの街の雰囲気の設定も忘れてはなりません。
今までの白人の下に黄色人種がいるのではなく、黄色人種である日本人が支配することにより、人種差別がほぼない。もうすでにこの時代から、黒人も身体障害者も差別がなくバスもみんな一緒に乗っている設定の近未来小説なのです。
大西洋日本国は、劇中米国ドイツ帝国との連携をしてるがゆえのユダヤ人の扱いも微妙な立ち位置を迫られます。このあたりのアーリア、アジア、ユダヤ、黒人、など描写なども丁寧です。
シーズン5まであるのですが、最後は。。。いいませんね。
ただ、この現実は分断されているだよという視聴者の不安は残ります。
またこのシリーズではいろいろな勉強ができます。
ニュンベルグ裁判、東京裁判、劇中禁書として田上が読んでた宗教的経験の諸相、1984、ロリータ、また八卦のことももっと知りたくなりました。
また、これは日本酒ファンに見せたいのですが、なんと、1962年当時のデンバーのカフェで剣菱を頼むシーンもあります。シーズン3の6話ですが、、、これはびっくりです。もちろん現実にはなかった?あった?かもしれませんが、このような仮想歴史で、太平洋が日本の支配下にあったならば、日本酒もこの当時カリフォルニアや中央部でも普通に飲まれていたという設定。という面白さ。
分断、民族の浄化など震え上がるほどの現実感。
ディックの原作も読んでみたのですが原作は一瞬のエピソードをサラリと書いてるだけでした。その一瞬のエピソードもなかなか忠実にこの大河ドラマの中に組み入れらているので見てのお楽しみ。チルダンさんのプライドの高さがなんともアンニュイなシーンでもあります。
お話そのものよりも、歴史仮定小説なので設定のおもしろさにとりあえず心を奪われ、それからお話に入れるのが新鮮な驚き。エンタメとしてほんとうに久々楽しめす。ぜひともみてください!!!!
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